ポーランドのクラクフ広場でのパフォーマンス
クラクフ歴史地区はナチスに崩壊された市街を修復された世界遺産である。ヨーロッパで一番広い広場では各種のパフォーマンスが行われ、子供達に人気であった。宣伝マンもユニークで撮影に応じてくれた。
広い広場を20分かけて遊覧する馬車も大人子供に人気であった。綺麗な御者の男女と着飾った馬には写真を撮る人が群がっていた。
このクラクフ広場はヨーロッパで一番広く、馬車で一周するのに20分もかかっていた。
広場に聖マリア教会があり、日本の案内に必ず出てくるラッパ吹きは有名らしいが、高い塔のてっぺんなのでリアル感はない。終了した後に手を振っているのが面白かった。
海外旅行では日本と違ってトイレ事情が旅の充実感に影響を及ぼす。
男はトイレドアに▽印、女は○印表示がありヨーロッパでは珍しい。
道路途中はガソリンスタンド兼コンビニで無料だったが、他のヨーロッパ諸国はチップが取られるところが多いので、少しの金だが助かった。観光地の公衆トイレは60円くらいで、商品と同じく価格表示され、お釣りも出るほど明瞭だった。
トイレは清潔感はあった。ヨーロッパ諸国と同じく便器位置が高く、ものが届かないの声もあった。
大きい方はホテルも含めてシャワートイレはひとつもなく、清涼感が味わえない。紙は分厚く、それが詰まって流れないという女性の声があった。立つと自分のものがステンレスに映るトイレもあった。
アウシュビッツを観たさに1年間近く経済的な旅行企画を探していた。ポーランドショパン空港までの直行便記念企画を見つけた。いよいよ私のメインのアウシュビッツである
案内したガイドは、アウシュビッツでただ一人の日本人公認ガイドで有名な中谷さんでした。当てにしていたのだが、紹介された時は歓声が上がった。右の女性はクラクフガイド
案の定、イケメンで声も低音で落ち着いており、日本の政治を考えさせる案内が素晴らしかった。
終了後の食事中にある既婚の中年女性が、あの人なら脚を開いてもいいわと言っていた。
写真が有名な働けば自由が生まれるとの看板がある入り口。広さが私の写真技術では表せないのが残念。アウシュビッツ収容所の入口と人気の高い日本人のアウシュビッツ公認ガイドの中谷氏
収容所の建物が無数にあった。鉄条網で仕切られている
和風寝室と洋風寝室
中谷さんと現地ガイド及び日本人ガイド
髪の毛やめがね及び靴の山
銃殺刑広場には当日も花束、死体の焼却場外観と死体の焼却釜
第一収容所と第二収容所
第二収容所のトイレと収容所まで運んだ貨車
当時の収容者の容姿と焼却釜から500㍍の位置にあった収容所の所長宅
有名な中谷ガイドの著作には感銘した。身代わり犠牲になったゴルベ神父の精神に驚いた
ポーランドで二番目に印象が深かったのは岩塩坑であり、感激の3時間であった。
国営製塩企業となったのは世界最古の1250年、廃坑になっていない岩塩坑としても世界最古で、深さは地下327m 、全長は250km以上に及ぶらしい。
珍しい二段のエレベーターで地下63mまで下り、全長で250km以上ある坑道の2.5kmが見学コースになっている。最深部の130mまで歩くのだが、途中にシャンデリア含めて全て岩塩で作った各種の作業場や労働者の彫刻がいくつもあった。
地下の「大伝説の間」には、採掘道具を使って彫られた岩塩の彫刻、また、地下100mの採掘場跡には、「塩のマリア像」を祀る豪華な聖キンガ礼拝堂、岩塩の彫刻とレリーフ、岩塩の結晶から創られたシャンデリア、岩塩の壁を削ったダ・ヴィンチの最後の晩餐、前に紹介のキリスト像があった。
岩塩製の彫刻とシャンデリア
岩塩製のキリスト像と岩塩の壁を削った最後の晩餐
誕生日をポーランドで迎えた。夜食の最中に阪急交通社から誕生日の告知があり、参加者34名の中でお祝いされた。記念品は添乗員が購入してきたポーランドで高級ブランドのチョコレートとジャムのセットだった。
この日は同行の女房とのサファイア婚式を来年に控えた結婚記念日であり、私はそのことも披露し、お祝い気分を増殖させた。
なんとか金婚式までのあと6年間を健康寿命で迎えたいと欲張ってみたが、どうなることやら。
地動説を最初に発見したコペルニクスの生家
放射能でノーベル賞のキューリー夫人のミュージアム
数多く見つけた風力発電、ガイドは原発は必要ないと言っていた
外国旅行ではホテル、通信、トイレ、食事、安全性、交通などの環境が気になる。
ホテルは一箇所除いて、日本のビジネスホテル以上の広さと清潔感があった。特にどこも朝食はバイキングで飲料、果実、パンとも豊富で充分満足でいただき、チップも置いていくのに当然の感があった。
通信環境はどのホテルも客室でもwifiは無料で弱いながらも通信ができた。ヨーロッパでもホテルの公共場所で使用可能は多いが、客室はできないところがある。私はオフラインの地図を持っているので、どこを歩いても現在地が明示されるので重宝している。
トイレは一部の観光地でズルチ単位で徴収されたが、他は無料で利用できた。一回もシャワートイレに当たらずスッキリ感は今一歩だった。場所は観光地でも困らないほどあった。
食事はホテルの朝食が楽しみなほど品揃えがよく満足感味わった。昼夜はレストランかホテルだが、メインが少量の肉あるいは魚だったが、どこでもジャガイモを擦ったもので、量も多くあまり食べなかった。スープはごった煮で量が多くそれだけで腹がいっぱいになるほどの量であった。チョコレートとドライフルーツが美味しく自給率250%の農業国であった。
安全性はイタリアみたいなスリも見当たらず、被害らしき兆候は誰も感じなかったと言っていた。移民問題が焦点だったが、駅の構内を乗り越えて列車に乗り込もうとする人がまとめて7?8人くらいいただけで集団はどの地域でも見かけなかった。
車は横断するときにゆっくりと待ってくれ、日本よりも歩行者優先思想が強かった。これは、どこのヨーロッパ諸国でも見られるが、特にその点は優秀さを感じた。列車は3時間ほど乗車したが、スペインの特急列車並みの時刻通りの発着であった。
田舎に行くほど風力発電が多く稼働しており、日本とは大きく違っていた。景色もトルコのような地平線とは言えないが広い平原が続いており、坂道も少なく標高差が少ない国というイメージであった。
フランスも多いが宿り木がやたら目についた。冬で葉が枯れているので、宿り木の青黒さが目立っていた。終わりです。読まれた方にはお疲れさまでした。