水野の趣味 インド旅行記

旅行に備えて事前知識の修得と旅行気分を上げるために、るるぶと世界の街歩きの他、以下の三冊を読んだ。インド関係の本では宗教の知識でブッダの三冊と新釈尊伝を読み本棚に置かれている。

       


参考書によるとインドに行くには、ビザを旅行社まかせにせず、自ら取ることから始めよとあった。指定されたフォームに英語で記入するのに、辞書を片手に4名分が半日以上かかり、取得ができるか不安の連続であった。

茗荷谷駅近くのインド領事館にビザを申請に行った。申請者が数人しかいなかったこともあり、窓口に申請書を提出してから、 何も質問されずに5分ほどで申請が受理された。一人当たりの費用を2150円払いあっけなく終わった。

数日後、作成をホームページで確認し、受領に行った。ビザの受領時間は午後5時から30分の間でこれ以外は発行しないという変わった制度であるが、30分前に行ったら5時前に受付をしてくれた。ビザの形式がどんなものかと、保存してあるパスポートを見たら、エジプト、ロシア、タイ、昔のチェコなどがあったが、インドの写真付きのビザは始めてであった。まずはほっとした。写真はインド領事館の入口と内部


インドで使うために、30時間以上かけて、革製で機能充分のショルダーバックを作った。移動中や現地で使いやすいように、バックにはipadmini、iphone、現金、各種カード、などをそれぞれすぐ取り出せるように収納されるようになっている。また、水筒や一眼レフカメラも入るサイズで、カバーをつけることで、防犯対策にもなっている。現地ではこれひとつで過ごしたが、快適に過ごせた。しかし、短パンとティシャツとサンダル姿にこのカバンはアンバランスだよ。


午後5時発、中国東方航空で成田から上海経由で、インド空港に到着したのは当日の午前1時であった。バスツアーと思いきや、それぞれのグループごとに、ボックスカーでの運転手とガイド付きだった。


朝5時頃、インド人の生活を見たくてホテル周辺を歩いてみた。もう野菜販売の準備をしている。怖いくらいの野犬だらけだが、向かってくることはなくインド人と同居している。猫は一匹もいない。あとで聞いた話だが、猫は犬に食べられちゃうので、部屋の中だそうだ。


インドは赤いポストだがドロドロで、郵便物など到着時点で汚れそう。でもなんで2つ並んでいるのだろう?郵便が好きな国なんだろう。


警官が飲み物屋でコーラを買い一服していた。パトカーは黄色、日本みたいに大きくなく排気量は250CCくらいで、赤色灯1個とスピーカーが着いていた。写真の許可を貰ったら、付近の住民がたくさん寄ってきた。


最初の観光地はガンジー廟で、入り口の受付で裸足になるのをチェエクされながらの見学であった。ガンジー人気は定着しており、インドの父ともてはやされていた。ここには、各国の元首が来ると外周に一本づつ植林ををするそうだ。


インドガラスはマンゴーを食べている。私達も食事のたびごとにマンゴージュースを飲んでいる。カラスはグレイと黒のツートンカラーで非常に綺麗であった。日本と違って人間を怖がらず、カラスも人と溶け合っている。


p>あちこちでコプラ使いを見た。同行者はすぐ傍まで行っても怖さを感じなかったので、おそらく毒歯は抜いているのかもしれない。同行者はこの蛇使いにチップで日本円で2000円もあげていた。ガイドのチップが一日400円、運転手は200円のレベルなので、ガイドに怒られた。


デリーにある世界遺産のフマユーン廟は、インドで有名になったタージマハルの原型になった16世紀に9年かけて、皇帝の死後、后が作ったらしい。四方どこから観ても同じ景観になるように作られていた。


このスタイルがサリーで、ほとんどの女性がこれを着ている。布地の発色が良いのでポリエステルだと思うが、非常に綺麗であった。眉間に赤いマークは既婚の印とのこと。


写真が好きなのか、カメラを喜んで受け入れてくれ、一人を撮ろうと思っても、家族全員が被写体になる。でも、見せてくれとは誰も言わないのは不思議である。


デリーにある世界遺産のクトゥプミナールで14世紀にイスラムがヒンズーを征服した時の記念に作った。まわりはイスラム時代の建造物がたくさんあった。


この純真無垢な顔に一目惚れ。肌が赤いので白目が綺麗で吸い込まれそう


若い人はサリーを着ない人もいる。それらの人たちはジーパンが多かった。この人達も一人にカメラを向けたら、集まってきた。


私が持っていった温度湿度計で見ると、この日は温度が40度あった。しかし、湿度が48%なので、そんなに暑くは感じない。路上の飲料は冷えているのだろうか?


タクシーと運転手。なにしろ、お金に余裕のない人はリヤカーみたいな力車、余裕のある人はこのオート力車、観光客は乗用車かワンボックカーのイメージであった。バスもあるがどれも満員であった。


昼食はドーサランチと言うらしい。カレーと辛さを増加させるスパイス、ヨーグルトなどをナンと一緒に食べる。スパイスが効いて、日本のカレーとは違って非常に美味しい。追加は自由なので、みんな、いやしくもちょっと食べ過ぎである。


デリーからジャンプールまで有料道路を250Km走行する。イギリスの植民地だった関係で、車は日本と同じく左側通行であった。その関係があるのかほとんどが日本車である。この道路は高速道路であるが、逆走をしてくる車が多い。交通法規はないに等しい。ある場所で混雑すると、我がタクシーも右に出て逆走をし始めた。左のトラックは一般道路。


この写真は高速道路の脇を休んだり歩く牛である。高速道路を悠々歩く牛、野犬、ヤギなどを車は巧みに避けたり止まったりして動物優先の高速道路である。ところが数カ所で牛や野犬が跳ね飛ばされ死んでいるのを発見できた。生々しい写真はスピードが早く後部座席なので撮れなかったのが残念である。


ジャイプールはデリーよりは車は少ないが、押し寄せてくる車に圧倒される。車の大半はタクシーである。交通状況はカオスである。


ジャイプールのアンベール城に観光客を乗せる象たちが整列している。


象使いがどこから来たと話しかけてくる。象の乗り物は写真は撮れないくらい揺れるので怖い。


マハラジャの豪奢な王城、アンベール城の内部


アンベール城の壁面で左は大理石に銀の象嵌。右の大理石にステンドグラスも同じく綺麗だった。


望遠で撮った孔雀の羽根を開いたところ。孔雀は国鳥でちょっとした空き地に多数見られた。


アンベール城の警備員はほとんどが女性であった。ちょっと格好が良くて惚れてしまう。


場所は変わって世界遺産のジャンタルマンタル。18世紀に作られ、16の観測儀がある天文台。
2つとも日時計。影の部分が時刻なので、クリック。そばに調整数字があったが、正確だったので驚いた。


ピンクシテイにある18世紀建設のマハラジャ王宮の一部でのダンス教室。どうも私は、キリリとした女性で魅力的だったダンス生徒。


シテイパレス広場での指人形もインドらしい。


冷房の効き過ぎたレストランでのターリー。カレーの辛さにも慣れてきたが・・・どうも腹の調子が怪しい。


ヒンズー教寺院の神様を車内から。


アグラに行く途中の世界遺産で16世紀のフャテーブルシクリ宮殿。建物は赤砂岩で、アグラ城と同じくヒンズーとイスラムの混合建築。


ファテイブルシクリ宮殿を見学する母と娘二人。


同行者の全員が3日目にして腹の調子を壊した。観光どころではなく、移動中に全員がトイレ探しに忙殺をされた。特に私は重症で、腹の調子が悪いと現れる、あらゆる具体的症状に苦しんだ。インド人には平気な雉撃ちも、高速道路の道路上で経験した。
 私の場合は、この日から移動は一緒にしたが、一切の観光や撮影はできなくなった。食事は3日間食べることができずに、ついには病院に行き、点滴治療をするはめになった。薬をもらったが、帰国後も3日間は動くことができなかった。

残念であったのが、予定されていたアグラやデリーの散策ができなかったこと。及び最大の観光であったタージマハルやアグラ城が全く見ることができなかったことである。


下段上は比較的軽症だった女房が撮影してくれた、17世紀建築の白大理石の霊廟タージマハル16世紀建造の要塞居住であったアグラ城。見ていないのでコメントはないが、女房は人の気も知らないで、両方共素晴らしかったと絶賛。





安いツアーで、アリが象の印象を語るような旅行記である。初めて見る生活、交通事情、貧困、インフラの未整備、ホテルの未設備、街のトイレを垣間経験して、インドはカオス(混沌)であった。ガンジーやマザーテレサはその中で活躍してきたので、すごい人物だと想った。

コスモス(秩序)の部分もあるのだろうが、見えにくかった。IT産業が活発の印象は持っていったが、ホテルなどのテレビやWIFI環境はレベルが低く、ほとんど通信はできなかった。カースト制度のお陰で、下層階級の方は輪廻転生に期待して、死を恐れていず、余計カオスを醸し出していた。

一方、有名観光地はどこも清潔感もあり美的であった。観光地の建物は数世紀を経たのに、立派に温存されており、それぞれは美的感動物であった。人は穏やかで、揉めるようなこともなく、人懐っこく抱擁してくれるような感じであった。

女性は一様に魅力があり、着用のサリーは清潔感に溢れ、美的センスもよく季節に適した民族衣装であった。私はインドに行くと人生が変わるという言葉に期待した。たしかに貧困の中で子供たちが、屈託がなく、力強くいきいきしている様には感動した。

あれだけカオスと貧困の中で必死に生きる姿を見ると、日本でのぬるま湯生活は、なんらかの動転時に将来生き残っていけるのだろうかと心配になった。同行の親戚は、別世界を見せてもらって感動をしたとしみじみ語っていた。動転時に生き残れるパワーを持つのはインド人であろう!2013/06/24作成